役割分担とチームワーク、チーム内のメンバーにそれぞれ得意な分野を受け持って貰えれば、仕事が上手くゆくと、一見相性のよい概念のように見えますが、この2つは実は非常に相性の悪い ものです。
上司のあなたが部下に安易に役割を割り振ろうとすれば、多くの場合あなたが期待するほどのチームワークは得られないでしょう。
チームにおける役割分担には、二つのタイプがあります。第一は、サイズの大きな仕事を、上司が、小さな仕事に分割して、それぞれの小さな仕事をメンバーに割り振るタイプです。第二は、チームでサイズの大きな仕事を進めるときに、成功するためにチーム内で自然発生的にメンバーの役割が生まれるタイプです。
会社全体などの様に大規模な組織(=チーム)の場合、第一のタイプによる役割分担が現実的です。総務部、企画部、営業部、開発部などのような組織構成がこれに当たります。
一方、チームという言葉から連想する規模、数人から20名程の規模では、第二の自然発生的な役割分担の方が上手くゆきます。しかし、現実には、多くの上司が、第一のタイプの役割分担を好み、チームワークの醸成に失敗することがよくあります。
そもそもこのブログは、「やがて上司になる」若い方々に向けた物なので、ここでは、話を 「数人から20名程の規模」のチームワークに限りましょう。以下、チームと言えば、数人から20名程の規模」の集団と指します。
さて、何故、上司主導の第一のタイプが好まれる一方、チームワークの醸成に失敗するのでしょうか?冷静に考えれば簡単です。
チームレベルでの「サイズの大きな仕事」をより小さな仕事に分割することが、実は非常に難しいからです。
全社レベルでの「サイズの大きな仕事」は、総務、企画、営業、開発といったようによいノウハウがありますし、この分割は何年何十年という長期にわたって価値を持ちます。
しかし、チームレベルでは、「サイズの大きな仕事」といっても長くて数年、チームマネージメントの視点で言えば数ヶ月程度の仕事ですし、仕事の多様性が非常に高くなります。要するに、内容がどんどん変わりながら、次々と仕事がやってくる状況で、常に正確により小さな仕事に分割することが、簡単な訳がありません。ましてや、それらの仕事の内容と、上司であるあなたの得意分野が一致していないときに、困難な仕事になるのは明らかでしょう。
仮に、小さな仕事への分割が成功したとしても、小さな仕事と部下のスキルとマッチングを取らなければなりません。 部下は機械ではありませんから、マッチングを考える時に、部下の好みも可能な範囲で取り込む必要があります。ここにも、根深い問題が隠れています。あなたが、部下のスキルと好みについて、正確な知識を持っている可能性は決して高くないということです。特に、専門性の高い分野においては、部下のスキルについては、ざっくりと優秀か否かは分かっても、その正確な把握は不可能です。つまり、マッチングを上司が行うことも、また難しいのです。
さらに、 「サイズの大きな仕事をより小さな仕事に分割」する仕事は、すべての仕事の最初にしなければなりません。前捌きと言われるもので、ここが遅れればそれだけ、納期までの時間を削ることになります。難しい仕事なのに、時間を掛けられないのです。
このように、チームレベルでの仕事の分割は非常に難しいのです。
上司による仕事の分割は、チームワークにはあまり役に立ちません。仕事の分割は上司の手でなされているので、メンバーは個別に仕事をすることができます。ですので、納期を守ること以外、チーム(正確には上司であるあなた)に対する責任を感じる必要はありません。上司が自分の仕事を切り分けているのだから、他のメンバーの仕事に興味を持つ必要性もありません。これでは、他のメンバーの納期遅れがあってチームの仕事に遅れが出た時に、そのメンバーを非難する風土はできても、チームワークは醸成されることはありません。
ポリティカルな側面として、上司主導の第一のタイプの役割分担においては、チームレベルでの仕事の分割は、部下の仕事を決めることなので、上司の権力の発露の場以外の何物でもありません。あなたが常に適切な役割分担を生み出すことができれば、当初部下から大変尊敬され、やがてそれが当たり前のことになってゆくでしょう(割が合いませんが、そんなものです)。
しかし、あなたが時折であっても、不適切な役割分担をしてしまえば、当然仕事はスムーズに行かないですし、それは次々やってくる仕事への時間を圧迫することになりますから、あなたは部下から「仕事が分かっていないバカな上司」というレッテルを貼られるでしょう。
まとめると、上司主導の第一のタイプの役割分担を目指すということは、よほどの幸運がない限り、現場のことを知らないで、権力ばかり振りかざして、アホな業務付与を続ける迷惑な上司への道を選択することになるのです。いつも自分が有能なつもりで、仕事が上手くゆかない場合には自分のことを棚に上げて部下を無能呼ばわりするこの手の上司、けっこういますよね(笑)。
逆に、仕事の分解とマッチングが難しいからと、考え無しに第二のタイプのチーム内で自然発生的役割分担を目指すと、なんでもかんでも部下に仕事を丸投げする仕事をしない無能な上司になってしまいます。
第二のタイプを目指す時の上司の仕事とは、チーム内に役割分担が自然発生するための職場の風土を作り出し、それを維持することです。前に書きましたが、どんなに上手く回っているチームであっても、その内部には利害関係があります。そして、新しい仕事の役割分担を決める場は、メンバー間の利害の衝突の場となるという一面を持ちます。ですから、チームに仕事を丸投げするだけでは役割分担が自然発生することはなく、上司がチーム内の利害関係を解消することで、初めてその環境が整うのです。以下、具体的に話しましょう。
まず、第一は、チームレベルの仕事の目標の達成責任は、チームが負うことを明確にすることです。
こう書くと、「仕事の責任があいまいになり、部下がサボるようになる。」という反論がよくあります。現実には、サボる部下はいつでもサボりますし、責任感の薄い部下が上司の指示だけで責任感が向上することはありません。むしろ、「サボる/責任感のない部下に目標の達成に必須な仕事を割り振れば、それは目標達成のボトルネックになる。」というリスクを考えるべきなのです。上司の仕事は、仕事の目標を達成することが目的であり、部下がサボらないようにすることは目標達成のための手段にすぎないのです。
次の問題は、「チームが目標達成の責任を負う」ことを、どうやってチーム内に徹底するかです 。仕事の場合、目標が多くの場合、チーム外(あなたの上司)から与えられるので、チーム内で目標を合意するという状況にはなりません。あなたのチームができるのは、どう目標を達成するかを決めることです。「どう目標を達成するか」には、仕事をどう分割するか(分解)、分割した仕事をどういう段取進めるか(段取:分解された仕事の時間的な繋がり)、それぞれの仕事をどういう手段で行うか(手段)・・・、というように、詳細化できます。この詳細化を、「チームが目標達成の責任を負う」というチームの意識を作り出すことに使うことが大切です。
そのために、まず、上司であるあなたは、仕事の分解、段取、方法の私的な計画案を、仕事を受け取るとすぐに、ひとりで可能な限り詳しく作成しましょう。これに時間をかけることは、納期を守ることが難しくなるので、駄目です。次に、私案から、部下に提示するための上司の計画案、それはあなたの私案の分解の粒度粗くし、段取に曖昧さを入れた計画案ですが、を作ります。
上司案ができたら、チーム全員を集めて、新しい仕事について説明をしましょう。そして、
「どう目標を達成するか」について、あなたの上司の計画案を、叩き台として部下に説明しましょう。その上で、チーム全体で、仕事の分解、段取、方法について、計画を立てるのです。このチームミーティングの中で、あなたは部下がそれぞれの専門性を活かして、あなたの私的な計画案より、ずっとシャープな切り口で仕事を分解し、適切な段取りと、手段を見つけて行くことを見るはずです。あなたの私案は、ミーティングが進まないときに、私案そのものではなく、私案を立てた時のあなたの考え方を、部下にヒントとして提示するためにだけ使います。あなたは、上司案を示した後は、議論が、仕事の目標からはなれあいように、細かくなりすぎないように、といった点に気を配りながら、司会に徹するのです。
司会をするあなたの大切な役割が、議論の細かさの制御です。基本的には、手段をどうするかということになると、あまりに細かすぎると判断できます。目標を達成するための手段は、たいてい複数あるので、この段階での議論には、達成可能な手段があることが分かれば十分です。議論は、仕事をどう分けるか、どういう段取りで進めるかに集中し、手段の議論は、そもそも可能なのかを含めて、分解された仕事の困難さを見積もるレベルに留めます。もう一つ、仕事の分解についても、部下の間で意見の対立が出るというのが、判断の基準になります。その場合、その時点では、チームとして仕事に対する知識が不足しているということに他なりません。無駄な議論はやめて、仕事が進んでから、再度検討すべきです。
また、分解と段取の議論が収束する前に、誰が何を担当するかという話を出さない/止めることも、あなたの重要な役割です。
一方、部下は、どういう手段で分解された仕事をするかをずっと考えながら、議論に参加しています。自分のスキル、同僚のスキルとを測り、多分ここは自分が担当することになるのだろう、あそこはあいつだなとか、マッチングも同時に考えています。
あなたが、誰がどの仕事について、どんな発言をどの程度しているか等、注意深くチームの議論を見ていれば、それだけで分解された仕事の7、8割については、適切な割振がどうなるか分かります。残りの2、3割の仕事は、誰も担当したくないであることも、分かるはずです。
ここまで来れば、あなたが、「誰がどれを担当する?」と問いかければ、7、8割の仕事については部下自身が自分がこれを担当すると言い始めるでしょうから、あなたの仕事は、誰も担当したくない2、3割の仕事の担当を指名することとに集約するはずです。
そして、その頃には、「チームが目標達成の責任を負う」ことが、ごく自然にチーム内に徹底されているはずです。
まとめましょう。
大きな仕事を成し遂げるには、どうしても複数の人に仕事を割り振る役割分担が必要です。しかし、その仕事に携わっている人達がチームになっている必要はありません。管理者が仕事をその開始の時点で適切に仕事を分割(仕事の分割)し、人に指示できる程仕事の内容を明確に定義(仕事の記述)でき、適切に割り振ること(仕事のマッチング)ができるのであれば、チームもチームマネージメントは不要です。いえ、チームどころか、部下すらも不要で、すべてを外部に発注することもできるはずです。
しかし、現実には、役割分担(仕事の分割・記述・マッチング)には不完全さが伴います。不完全な役割分担を、大きな仕事を成し遂げるために、走りながら修正するのがチームワークなのです。
役割分担が、チームを生み出すことはありません。一方、優れたチームは、適切な役割分担を常に生み出すのです。
2011年9月16日金曜日
2011年7月29日金曜日
やがて上司になるあなたへ(12): 分からないことを決めるのかが上司の仕事
このシリーズの最初に、「上司の仕事は、部下に、価値のある仕事を、与え続けること」と言いました。これは、長期的な視点から言ったことで、短期的な視点から言ったのが、今回の表題です。
非常に簡単な例が、「新規の100万円案件と、類型のある1000万円案件ではどちらの検討に時間を掛けるか?/どちらを先に検討するか」という前々回の話題です。新規と類型、100万円と1000万円と、二つある基準が背反しているので、万人が納得する答えはありません。
こうした背反がある時に、どうするかさっさと決めてしまうのが、上司の重要な仕事です。
まあ、この事例は会議の時間と順番なので、不謹慎を承知で言えば、コイントスで決めてもよいでしょう。
では、経営の安定を狙って短期的に固く利益を狙うか、経営の拡大を狙って長期的にリスクを織り込んで大きな利益を狙うかになるとどうでしょう?部下全員の前で、「コイントスで決める」と宣言することは、どう考えても愚かな行いです。
上司であるあなたは、部下から見て納得ができる選択/決定をしなければなりません。人を納得させる決定は、その場の思いつきでできるものではありません。組織としての物の考えから、その年の組織の方針、上司であるあなたのポリシーなど、比較的長期間変化しない上位の「考え」によって決めるのが妥当です。
(続く)
非常に簡単な例が、「新規の100万円案件と、類型のある1000万円案件ではどちらの検討に時間を掛けるか?/どちらを先に検討するか」という前々回の話題です。新規と類型、100万円と1000万円と、二つある基準が背反しているので、万人が納得する答えはありません。
こうした背反がある時に、どうするかさっさと決めてしまうのが、上司の重要な仕事です。
まあ、この事例は会議の時間と順番なので、不謹慎を承知で言えば、コイントスで決めてもよいでしょう。
では、経営の安定を狙って短期的に固く利益を狙うか、経営の拡大を狙って長期的にリスクを織り込んで大きな利益を狙うかになるとどうでしょう?部下全員の前で、「コイントスで決める」と宣言することは、どう考えても愚かな行いです。
上司であるあなたは、部下から見て納得ができる選択/決定をしなければなりません。人を納得させる決定は、その場の思いつきでできるものではありません。組織としての物の考えから、その年の組織の方針、上司であるあなたのポリシーなど、比較的長期間変化しない上位の「考え」によって決めるのが妥当です。
(続く)
2011年7月22日金曜日
やがて上司になるあなたへ(11):ドラッガーとミンツバーグ
マネージメント本と言えばP.F.ドラッガーが有名ですが、私は、H.ミンツバーグの名前も挙げたいと思います。
ドラッガーの話はほとんど哲学書/思想書の趣ですが、ミンツバーグの話は事例に富んでおり相当に実務的です。
どちらかと言えば、私がミンツバーグの方を高く評価するのは、マネージメントの多様性/不定形性を正面から捉えている分だけ、「信者」を生みにくいと思うからです。マネージメントとは何かについて彼が語った言葉に、「マネージメントとは、何とか折り合いをつけて、日々を乗り切ってゆくこと」という印象的なものがあります。なるほどとは思っても、これを宗教のように信奉しようとする人はいないでしょう。
これに対して、ドラッカーの言葉は、その素晴らしさ故に、無批判の信奉を引き起こしそうな危うさを感じます。もちろん、ドラッガーの著作は、一つの企業で成功したことを普遍的なことのように語るマネージメント本とは一線を画しており、豊富な経験に支えられ、深い考察を通して得られた普遍的なものを含むんでいます。それ故の抽象的な面が、私の感じる危うさの原因となっています。
是非、この二人の著作を読んでみて下さい。
ドラッガーの話はほとんど哲学書/思想書の趣ですが、ミンツバーグの話は事例に富んでおり相当に実務的です。
どちらかと言えば、私がミンツバーグの方を高く評価するのは、マネージメントの多様性/不定形性を正面から捉えている分だけ、「信者」を生みにくいと思うからです。マネージメントとは何かについて彼が語った言葉に、「マネージメントとは、何とか折り合いをつけて、日々を乗り切ってゆくこと」という印象的なものがあります。なるほどとは思っても、これを宗教のように信奉しようとする人はいないでしょう。
これに対して、ドラッカーの言葉は、その素晴らしさ故に、無批判の信奉を引き起こしそうな危うさを感じます。もちろん、ドラッガーの著作は、一つの企業で成功したことを普遍的なことのように語るマネージメント本とは一線を画しており、豊富な経験に支えられ、深い考察を通して得られた普遍的なものを含むんでいます。それ故の抽象的な面が、私の感じる危うさの原因となっています。
是非、この二人の著作を読んでみて下さい。
2011年7月21日木曜日
やがて上司になるあなたへ(10):知っていることに時間をかけるな
会議、打ち合わせ、立ち話など、組織の中では、さまざま形での議論、意見交換、コミュニケーションが行われます。
この時間は、何によって決まるでしょうか?実は、話や案件が上司がよく知っている内容かどうかで、時間の長さが決まる場合が多いのです。
上司が案件に詳しい場合に長くなり、疎い場合に短くなるのです。
上司は、案件に詳しい場合、無意識の内に、自分の能力を示す機会と捉えて、つい蘊蓄を垂れてしまいます。その結果、時間が長くなるのです。この時間は、上司であるあなたにとっては自己陶酔に浸れる至福の時間でしょうが、部下にとってはうんざりです。
逆に、疎い場合には、案件の重要性を把握することは難しいので、「よく分からない」=「価値が低い」という、これもまた無意識の論理で、話を聞き流してしまいます。内容がよく分かっている部下にとっては、苛立たしいことでしょう。
本来は逆であるべきです。あなたがよく知っている内容の案件であるなら、あなたは部下にポイントだけを短く述べるように求めるべきです。それによって、会議の時間を短くすることができます。あなたが疎い案件であれば、自分が必要な判断を下せるだけの説明を、あなたは部下に求めるべきです。
しかし、そうは言っても、人である以上、快感原則に逆らうことは容易ではありません。
また、あなたが何に詳しいかを部下が知っているとは限りません。部下があなたが何を知っているかを知らなければ、長い時間を掛けて不必要に詳しい説明資料を用意してしまうかもしれません。
こうした問題を解決する簡単な方法は、
・新規案件か、類型があった案件かのいずれか
・会議の時間を内容の外形的な価値(予算規模、関わる人数等)
から決めることです。1000万円の案件と100万円の案件があれば、1000万円の案件に時間を掛ける。新規案件と類型があった案件であれば、新規案件に時間を掛ける、という、ごくごく当たり前のやり方です。
新規の100万円案件と、類型のある1000万円案件ではどうするか?この種の背反がある場合は、どっちを先にするかを論じていること自体が無駄なので、あなたのセンスで、さっさと決めて下さい。
いずれにしましても、部下の時間、それはチーム全体の時間でもあるのですが、を有効に使う方法の一つが、自分がよく知っていることに時間を掛けないということなのです。
もちろん、「よく知っている」状態を維持するためには、普段の勉強が大切であることは言うまでもありません。
この時間は、何によって決まるでしょうか?実は、話や案件が上司がよく知っている内容かどうかで、時間の長さが決まる場合が多いのです。
上司が案件に詳しい場合に長くなり、疎い場合に短くなるのです。
上司は、案件に詳しい場合、無意識の内に、自分の能力を示す機会と捉えて、つい蘊蓄を垂れてしまいます。その結果、時間が長くなるのです。この時間は、上司であるあなたにとっては自己陶酔に浸れる至福の時間でしょうが、部下にとってはうんざりです。
逆に、疎い場合には、案件の重要性を把握することは難しいので、「よく分からない」=「価値が低い」という、これもまた無意識の論理で、話を聞き流してしまいます。内容がよく分かっている部下にとっては、苛立たしいことでしょう。
本来は逆であるべきです。あなたがよく知っている内容の案件であるなら、あなたは部下にポイントだけを短く述べるように求めるべきです。それによって、会議の時間を短くすることができます。あなたが疎い案件であれば、自分が必要な判断を下せるだけの説明を、あなたは部下に求めるべきです。
しかし、そうは言っても、人である以上、快感原則に逆らうことは容易ではありません。
また、あなたが何に詳しいかを部下が知っているとは限りません。部下があなたが何を知っているかを知らなければ、長い時間を掛けて不必要に詳しい説明資料を用意してしまうかもしれません。
こうした問題を解決する簡単な方法は、
・新規案件か、類型があった案件かのいずれか
・会議の時間を内容の外形的な価値(予算規模、関わる人数等)
から決めることです。1000万円の案件と100万円の案件があれば、1000万円の案件に時間を掛ける。新規案件と類型があった案件であれば、新規案件に時間を掛ける、という、ごくごく当たり前のやり方です。
新規の100万円案件と、類型のある1000万円案件ではどうするか?この種の背反がある場合は、どっちを先にするかを論じていること自体が無駄なので、あなたのセンスで、さっさと決めて下さい。
いずれにしましても、部下の時間、それはチーム全体の時間でもあるのですが、を有効に使う方法の一つが、自分がよく知っていることに時間を掛けないということなのです。
もちろん、「よく知っている」状態を維持するためには、普段の勉強が大切であることは言うまでもありません。
2011年7月17日日曜日
やがて上司になるあなたへ(9): 上司は、自分と同じレベルの部下を最も高く評価する
人の力はとても多くの要素からなっていますから、人の持つ力を正確に評価することは難しいことです。そのため、どうしても一定のバイアスがかかります。典型的なバイアスが、表題の「上司は、自分と同じレベルの部下を最も高く評価する」です。より正確には、自分よりほんの少しだけ劣る部下を、です。
これは、不思議なことでも何でもありません。
乱暴に言えば、実務上の専門能力において、大抵の上司より部下の方が優秀だからです。上司になるということは、多かれ少なかれ実務から離れることになります。同時に、実務に必要な専門知識は当然進歩し続けますし、実務から離れた上司は実務能力は確実に低下してゆきます。上司と部下の専門能力が逆転するのに、それ程時間はかかりません。
ということは、自分が及ばない/知らない能力を見極めることができなければ、上司は部下の能力を正確につかむことはできないのです。
しかしながら、この現実に気付かず、上司であるということだけで、自分の方が能力が高いと勘違いする人は少なくありません。いや、むしろ、驚くほど多いのです。こうした人は、自分よりレベルの高い部下を「よく分からない奴」と、自分よりレベルの低い部下を「使えない奴」としてしか認識することができません。*)その結果として、自分が完全に理解できる部下、それは自分よりほんの少しだけ劣る部下なのですが、を最も高く評価することになるのです。
*)この状態に一度入ると、そこから抜け出すことは非常に困難です。何故なら、当人の内面においては、自分が常に一番であり、それを否定する材料はないのですから、抜け出さなければならない理由が浮かぶことは起こりえないのです。
こうした困った上司にならないためには、どうすればいいでしょうか?
残念ながら、報告書の指導のようなすぐに使えるメソッドを、私は見つけることができていません。しかし、いくつかの有効な対策はあります。
第一は、チーム全体の能力の質は、上司であるあなた自身の能力の質を上回っている(いなければならない)と、理解することです。
第二は、上司部下の関係を、指示を出す/受けるという上下の関係ではなく、チームのための諸雑用をする者(上司)とチームの実務を行う者(部下)という対等な役割分担の関係と捉えるということです。
第三は、以前に述べましたが、チームを最適化しないことです。
第四は、使い方を間違えるとひどい結果になる対策ですが、結果を重視することです。
まず、第一の対策ですが、そもそもチームというものは、同じ能力の人を集めるより、違った能力を持った人を集めて、それぞれのメンバーの能力のよいところを使うことで、一人だといくら時間を掛けてもできないことをできるようにしたり、ずっと効率よく結果を出す仕組みです。もっとも極端な例が、大会社の社長と社員全員の関係です。どんなに優秀な社長であっても、会社が必要とする業務のそれぞれについて最優秀の社員の能力と、社長のそれを比べたとき、社長がすべての業務で上回ることはあり得ません。チームの本質として、チーム全体の能力の質は、上司であるあなた自身の能力の質を上回っている(いなければならない)ということは、当たり前のことなのです。
しかし、これに気付けば、つまり「自分には分からないことがなければならない」ことに気付けば、よく分かる部下(=自分よりほんの少しだけ劣る部下)への評価には慎重になれるはずです。
第二は、部下を侮らないための心構えです。自分が上と思い込めば、部下を侮りその本質を見逃しがちになります。部下の美点、あなたを上回る点を見いだそうとすれば、自然と上下の感覚は薄れてゆくはずです。同時に、上司というあなたの役割の重要な部分の一つが、細々とした指示を出すことでなく、チームに何かあればその責めを一人で引き受けることだということに気付くと思います。
第三は、最適化されていないチームでは、コミュニケーションが活発に行われます。それをよく見ていれば、それぞれの部下がチームの中でどれほどの役割を担っているか、他のメンバーからどれほど頼りにされているか、もしくは邪魔をしているかが、分かります。つまり、一種の第三者評価を得られるということです。
第四は、仕事は結果につながるべきものです。結果が出るということは、部下の能力の証明と考えることができます。結果とその結果を出した部下との対応付けが正確であれば、結果で部下を評価することは、高いレベルの公平感、納得感を期待できます。
しかし、結果とその結果を出した部下との対応付けが不正確ならば、強い不満を抱えたメンバーばかりのチームになってしまいます。現実には、「成果の横取り」はよくあることです。特に、コミュニケーションの悪いチームにあっては、後輩の成果を先輩が奪うことは、日常と思った方がいい位だと思います。人の成果を奪う者の多くは目端の利く者で、実に巧妙にそれをやります。上司のあなたがそれに気付くことは、容易ではないと思っていた方がいいでしょう。
この意味で、結果評価の重視は取り扱いが難しく、チームを最適化しないといった方法との組み合わせることが必要です。
第一から第四、精神論の要素が強く、どれも決定的なメソッドではありません。おそらく、人を評価する決定的なメソッドなどないのだと、私は思いますし、多くの人が知っていると思います。なぜなら、「全ての人を適切に測ることができるメソッドを売ります。」という宣伝文句がついた売り込みを、人が信じるとは思えないからです。
人の評価は、難しいけど、サボったり、油断したりすれば、チームはすぐに壊れてしまうという、上司にとってやっかいで大切な仕事なのです。私は、まずい評価をしないような努力を重ねることが大切だと思います。
これは、不思議なことでも何でもありません。
乱暴に言えば、実務上の専門能力において、大抵の上司より部下の方が優秀だからです。上司になるということは、多かれ少なかれ実務から離れることになります。同時に、実務に必要な専門知識は当然進歩し続けますし、実務から離れた上司は実務能力は確実に低下してゆきます。上司と部下の専門能力が逆転するのに、それ程時間はかかりません。
ということは、自分が及ばない/知らない能力を見極めることができなければ、上司は部下の能力を正確につかむことはできないのです。
しかしながら、この現実に気付かず、上司であるということだけで、自分の方が能力が高いと勘違いする人は少なくありません。いや、むしろ、驚くほど多いのです。こうした人は、自分よりレベルの高い部下を「よく分からない奴」と、自分よりレベルの低い部下を「使えない奴」としてしか認識することができません。*)その結果として、自分が完全に理解できる部下、それは自分よりほんの少しだけ劣る部下なのですが、を最も高く評価することになるのです。
*)この状態に一度入ると、そこから抜け出すことは非常に困難です。何故なら、当人の内面においては、自分が常に一番であり、それを否定する材料はないのですから、抜け出さなければならない理由が浮かぶことは起こりえないのです。
こうした困った上司にならないためには、どうすればいいでしょうか?
残念ながら、報告書の指導のようなすぐに使えるメソッドを、私は見つけることができていません。しかし、いくつかの有効な対策はあります。
第一は、チーム全体の能力の質は、上司であるあなた自身の能力の質を上回っている(いなければならない)と、理解することです。
第二は、上司部下の関係を、指示を出す/受けるという上下の関係ではなく、チームのための諸雑用をする者(上司)とチームの実務を行う者(部下)という対等な役割分担の関係と捉えるということです。
第三は、以前に述べましたが、チームを最適化しないことです。
第四は、使い方を間違えるとひどい結果になる対策ですが、結果を重視することです。
まず、第一の対策ですが、そもそもチームというものは、同じ能力の人を集めるより、違った能力を持った人を集めて、それぞれのメンバーの能力のよいところを使うことで、一人だといくら時間を掛けてもできないことをできるようにしたり、ずっと効率よく結果を出す仕組みです。もっとも極端な例が、大会社の社長と社員全員の関係です。どんなに優秀な社長であっても、会社が必要とする業務のそれぞれについて最優秀の社員の能力と、社長のそれを比べたとき、社長がすべての業務で上回ることはあり得ません。チームの本質として、チーム全体の能力の質は、上司であるあなた自身の能力の質を上回っている(いなければならない)ということは、当たり前のことなのです。
しかし、これに気付けば、つまり「自分には分からないことがなければならない」ことに気付けば、よく分かる部下(=自分よりほんの少しだけ劣る部下)への評価には慎重になれるはずです。
第二は、部下を侮らないための心構えです。自分が上と思い込めば、部下を侮りその本質を見逃しがちになります。部下の美点、あなたを上回る点を見いだそうとすれば、自然と上下の感覚は薄れてゆくはずです。同時に、上司というあなたの役割の重要な部分の一つが、細々とした指示を出すことでなく、チームに何かあればその責めを一人で引き受けることだということに気付くと思います。
第三は、最適化されていないチームでは、コミュニケーションが活発に行われます。それをよく見ていれば、それぞれの部下がチームの中でどれほどの役割を担っているか、他のメンバーからどれほど頼りにされているか、もしくは邪魔をしているかが、分かります。つまり、一種の第三者評価を得られるということです。
第四は、仕事は結果につながるべきものです。結果が出るということは、部下の能力の証明と考えることができます。結果とその結果を出した部下との対応付けが正確であれば、結果で部下を評価することは、高いレベルの公平感、納得感を期待できます。
しかし、結果とその結果を出した部下との対応付けが不正確ならば、強い不満を抱えたメンバーばかりのチームになってしまいます。現実には、「成果の横取り」はよくあることです。特に、コミュニケーションの悪いチームにあっては、後輩の成果を先輩が奪うことは、日常と思った方がいい位だと思います。人の成果を奪う者の多くは目端の利く者で、実に巧妙にそれをやります。上司のあなたがそれに気付くことは、容易ではないと思っていた方がいいでしょう。
この意味で、結果評価の重視は取り扱いが難しく、チームを最適化しないといった方法との組み合わせることが必要です。
第一から第四、精神論の要素が強く、どれも決定的なメソッドではありません。おそらく、人を評価する決定的なメソッドなどないのだと、私は思いますし、多くの人が知っていると思います。なぜなら、「全ての人を適切に測ることができるメソッドを売ります。」という宣伝文句がついた売り込みを、人が信じるとは思えないからです。
人の評価は、難しいけど、サボったり、油断したりすれば、チームはすぐに壊れてしまうという、上司にとってやっかいで大切な仕事なのです。私は、まずい評価をしないような努力を重ねることが大切だと思います。
2011年7月14日木曜日
やがて上司になるあなたへ(8):下らないことは、合わせろ
どんな組織にも、その組織を特徴付けるしきたり・風土があります。
この「しきたり」は、部外者には、どうしてそんなことをするのか訳が分からないという類のもの、要するに下らないものがすくなくありません。さらにウンザリする事に、それにかなりの時間が掛かることも多々あります。
若い人は、しきたり・風土の下らない部分を改善しようとしたり、下らない事をすることは嫌だと抵抗します。かつての私は、その典型だったように思います。
しかし、この改善と抵抗はまったく無駄なので、あなた自身もすべきでないし、部下にも止めるように諭しましょう。もちろん、頭ごなしに、部下に「しきたりには従え。」と言ったのでは、部下の軽蔑を買うだけで最悪です。
少し視点を変えて、次のようなケースを考えてみましょう。
あなたの友人が、ペットボトルのキャップを集める趣味を持っていたとしましょう。ですが、あなたは、ペットボトルのキャップにはぜんぜん興味が湧きません。それどころか、下らないと心底思っています。ある時、あなたは出張先で買ったペットボトルを持ち帰ったのですが、どうもそのペットボトルは友人にとってはじめて見るもので、彼/彼女がそれを欲しがったときにどうしますか?
大抵の人は、ああこれは彼/彼女の趣味だからと、ペットボトルを友人に上げるのではないでしょうか?ペットボトルのキャップを集めるのは下らないと自説を述べて、友人の目の前でペットボトルを捨てるようなことはしないと思います。
つまり、自分にとって下らないことには寛容になることは、冷静になれば、私たちにとってそれ程難しいことではないのです。
組織に対しても似たような考え方が有効です。つまり、自分の内面、価値観、人格といったものは、他人の趣味・考え・行動原理に影響されることはないものだということです。
ですので、部下にしきたり・風土に対処することを伝えるときには、次のようなステップを踏むといいでしょう。
まず、部下が独立した人格を持っていることを確認、尊重しましょう。
次に、組織のしきたり・風土が、部下の人格に何の影響力を持っていないことを、部下自身に確認させましょう。そのプロセスの中で、あなたは、抵抗感のかなりの部分は、組織が自分の人格・内面にに影響を与えることへの恐れからきている場合が多いことに気づくと思います。ここまでできれば、あとは簡単です。
部下の人格に何の影響力を持っていないことに、自分の時間とスキルを長々と費やすことは無駄ではないかと指摘しましょう。その上で、「君にとってどうでもいいことであれば、相手に合わせてあげればいいのでないの?」と言えば、多くの部下は理解してくれます。
もちろん、部下の人生観と、組織のしきたり・風土とが、完全に対立する場合もあるでしょう。その場合は、部下に勝算があると思えば応援してもよいですし、ないと思えば転職を勧めるべきです。
この「しきたり」は、部外者には、どうしてそんなことをするのか訳が分からないという類のもの、要するに下らないものがすくなくありません。さらにウンザリする事に、それにかなりの時間が掛かることも多々あります。
若い人は、しきたり・風土の下らない部分を改善しようとしたり、下らない事をすることは嫌だと抵抗します。かつての私は、その典型だったように思います。
しかし、この改善と抵抗はまったく無駄なので、あなた自身もすべきでないし、部下にも止めるように諭しましょう。もちろん、頭ごなしに、部下に「しきたりには従え。」と言ったのでは、部下の軽蔑を買うだけで最悪です。
少し視点を変えて、次のようなケースを考えてみましょう。
あなたの友人が、ペットボトルのキャップを集める趣味を持っていたとしましょう。ですが、あなたは、ペットボトルのキャップにはぜんぜん興味が湧きません。それどころか、下らないと心底思っています。ある時、あなたは出張先で買ったペットボトルを持ち帰ったのですが、どうもそのペットボトルは友人にとってはじめて見るもので、彼/彼女がそれを欲しがったときにどうしますか?
大抵の人は、ああこれは彼/彼女の趣味だからと、ペットボトルを友人に上げるのではないでしょうか?ペットボトルのキャップを集めるのは下らないと自説を述べて、友人の目の前でペットボトルを捨てるようなことはしないと思います。
つまり、自分にとって下らないことには寛容になることは、冷静になれば、私たちにとってそれ程難しいことではないのです。
組織に対しても似たような考え方が有効です。つまり、自分の内面、価値観、人格といったものは、他人の趣味・考え・行動原理に影響されることはないものだということです。
ですので、部下にしきたり・風土に対処することを伝えるときには、次のようなステップを踏むといいでしょう。
まず、部下が独立した人格を持っていることを確認、尊重しましょう。
次に、組織のしきたり・風土が、部下の人格に何の影響力を持っていないことを、部下自身に確認させましょう。そのプロセスの中で、あなたは、抵抗感のかなりの部分は、組織が自分の人格・内面にに影響を与えることへの恐れからきている場合が多いことに気づくと思います。ここまでできれば、あとは簡単です。
部下の人格に何の影響力を持っていないことに、自分の時間とスキルを長々と費やすことは無駄ではないかと指摘しましょう。その上で、「君にとってどうでもいいことであれば、相手に合わせてあげればいいのでないの?」と言えば、多くの部下は理解してくれます。
もちろん、部下の人生観と、組織のしきたり・風土とが、完全に対立する場合もあるでしょう。その場合は、部下に勝算があると思えば応援してもよいですし、ないと思えば転職を勧めるべきです。
2011年4月26日火曜日
やがて上司になるあなたへ(6) 報告書は誰のものか
報告書は、仕事の文書の典型で、多くの場合成果そのものです。このため、上司には、部下が分かり易い報告書を作成できるよう指導することが求められます。
よく行われる指導が、いわゆる「赤を入れる」ですが、これはお勧めできません。なぜなら、「赤が入る」度に、報告書が部下のものからあなたのものへと変わるからです。
さらに、まずい点がいくつかあります。第一に、そもそもあなた自身がそれほど優れた文章を書ける訳ではないということです。第二に、報告書に書くべき内容は、部下の頭の中にあり、その内容をあなたが完全に理解しているとは限りらないということです。しかも、目の前にあるのは、不完全な、場合によっては言うべきことが書いていないかもしれない、部下の下書きにすぎないのですから。第三に、部下の文体とあなたの文体は違うでしょうし、それぞれの単語をどういう意味で使うかも、部下とあなたで違うでしょう、等等。
結局、部下の報告書に、あなたが直接手に入れると、全面的な書き直しをあなたがするか、パッチワークのような読みにくい報告書になるしかないのです。
では、どうするか?
実は、すごく簡単で、とても有効な方法があります。それは、部下の報告書を読んで、分かりにくいところを指して、「ここで、何を伝えたいの?」と聞くのです。報告書を書く段階になっているのですから、ほとんどの場合、部下は、短い適切な言葉で答えてくれるはずです。そして、あなたは部下に言うのです、「そう書いた方が分かり易いよ。」と。部下の口頭での答えは文章としては荒いかもしれませんが、それは後で簡単に直せることなので気にせずに、話したままを文章に一度書かせれば、あっという間に分かり易い報告書ができあがるはずです。あとは、細かい表現を直すように指示すれば終りです。
この方法のよいところは、
1)報告書の中身はすべて部下の言葉でできていること
2)あなたの文章力が少々低くても適切な指導ができること
3)赤入れと比較して、時間がほとんどかからないこと
です。特に、1)によって、部下がこの報告書は自分のものだと思えるのが、大切な点です。
応用編としては、このQ&Aを、報告書全体の構造を明確にすることを意識して、全体→部分へと進めれば、分かり易い全体構成とポイントの はっきりした表現の両方を手にできます。ただ、全体を見る視点と、部分を見る視点が混ざりますので、部下との話術は少し難しくなります。 この当りは、プレゼンテーションのまとめかたの項で、もう少し詳しく書きます。
当然のことですが、この方法でも報告書が分かり易くならない場合があります。ひとつには、状況が複雑で何を報告すべきか不明確である場合、他には、部下の考えがまとまっていない場合等です。前者の場合には、備忘録としてとにかく書面にする価値があるなら、備忘録であることを明示して、分かりにくいままの報告書にすべきだと思います。後者の場合には、原則として、報告書の作成を中止し、部下の仕事の進捗を待つべきです。
最後に、この項では、それほど文章力がなくても部下の報告書の指導ができることを書きましたが、上司であるあなたは高いレベルの文章力を持っていた方がいいことは言うまでもありません。最低限の教養として、木下是雄先生の名著、「 理科系の作文技術 」(中公新書 (624)) を一通り学ぶといいと思います。
よく行われる指導が、いわゆる「赤を入れる」ですが、これはお勧めできません。なぜなら、「赤が入る」度に、報告書が部下のものからあなたのものへと変わるからです。
さらに、まずい点がいくつかあります。第一に、そもそもあなた自身がそれほど優れた文章を書ける訳ではないということです。第二に、報告書に書くべき内容は、部下の頭の中にあり、その内容をあなたが完全に理解しているとは限りらないということです。しかも、目の前にあるのは、不完全な、場合によっては言うべきことが書いていないかもしれない、部下の下書きにすぎないのですから。第三に、部下の文体とあなたの文体は違うでしょうし、それぞれの単語をどういう意味で使うかも、部下とあなたで違うでしょう、等等。
結局、部下の報告書に、あなたが直接手に入れると、全面的な書き直しをあなたがするか、パッチワークのような読みにくい報告書になるしかないのです。
では、どうするか?
実は、すごく簡単で、とても有効な方法があります。それは、部下の報告書を読んで、分かりにくいところを指して、「ここで、何を伝えたいの?」と聞くのです。報告書を書く段階になっているのですから、ほとんどの場合、部下は、短い適切な言葉で答えてくれるはずです。そして、あなたは部下に言うのです、「そう書いた方が分かり易いよ。」と。部下の口頭での答えは文章としては荒いかもしれませんが、それは後で簡単に直せることなので気にせずに、話したままを文章に一度書かせれば、あっという間に分かり易い報告書ができあがるはずです。あとは、細かい表現を直すように指示すれば終りです。
この方法のよいところは、
1)報告書の中身はすべて部下の言葉でできていること
2)あなたの文章力が少々低くても適切な指導ができること
3)赤入れと比較して、時間がほとんどかからないこと
です。特に、1)によって、部下がこの報告書は自分のものだと思えるのが、大切な点です。
応用編としては、このQ&Aを、報告書全体の構造を明確にすることを意識して、全体→部分へと進めれば、分かり易い全体構成とポイントの はっきりした表現の両方を手にできます。ただ、全体を見る視点と、部分を見る視点が混ざりますので、部下との話術は少し難しくなります。 この当りは、プレゼンテーションのまとめかたの項で、もう少し詳しく書きます。
当然のことですが、この方法でも報告書が分かり易くならない場合があります。ひとつには、状況が複雑で何を報告すべきか不明確である場合、他には、部下の考えがまとまっていない場合等です。前者の場合には、備忘録としてとにかく書面にする価値があるなら、備忘録であることを明示して、分かりにくいままの報告書にすべきだと思います。後者の場合には、原則として、報告書の作成を中止し、部下の仕事の進捗を待つべきです。
最後に、この項では、それほど文章力がなくても部下の報告書の指導ができることを書きましたが、上司であるあなたは高いレベルの文章力を持っていた方がいいことは言うまでもありません。最低限の教養として、木下是雄先生の名著、「 理科系の作文技術 」(中公新書 (624)) を一通り学ぶといいと思います。
2011年4月25日月曜日
やがて上司になるあなたへ(5) 一番やりがいがあり、面白い仕事こそ、部下に与えましょう
あなたの上司が一番やりがいがあり面白い仕事を担当し、あなたにはその周辺のやりがいが一段劣る仕事ばかりが与えられるとしたら、どう感じるでしょうか?力の差がある以上しかたがないと諦めることができればいい方で、普通は「上司はずるい。」と感じるのではないでしょうか。
このシリーズの最初に、上司の仕事は、部下に価値のある仕事を与え続けることといいました。あなたが上司として十分な力をもっているのであれば、今一番やりがいのある仕事を部下に与えても、あなたは次のもっとやりがいのある仕事を生み出せるはずです。
ならば、部下が、特に新しい部下が来た時には、あなたが一番やりたい仕事を部下に与えましょう。それはあなたから部下への明確な期待の表明になります。それによって部下のモチベーションは、確実に高まります。最高にやりがいのある仕事を、自分ではなく、部下に与え続ければ、あなたの率いるチームのモチベーションは常に高く保たれます。
逆に、一段劣る仕事ばかり与えて、口先で「情熱を持って仕事をしろ。」と言ったところで、部下がついてくるはずはありません。部下はしらけるだけです。
もちろん、あなたには新しい仕事を考えるというしんどい仕事が常に残りますが、モチベーションの低い部下を率いて成果を上げようと虚しい努力をするより、それはずっと生産的な仕事です。
このシリーズの最初に、上司の仕事は、部下に価値のある仕事を与え続けることといいました。あなたが上司として十分な力をもっているのであれば、今一番やりがいのある仕事を部下に与えても、あなたは次のもっとやりがいのある仕事を生み出せるはずです。
ならば、部下が、特に新しい部下が来た時には、あなたが一番やりたい仕事を部下に与えましょう。それはあなたから部下への明確な期待の表明になります。それによって部下のモチベーションは、確実に高まります。最高にやりがいのある仕事を、自分ではなく、部下に与え続ければ、あなたの率いるチームのモチベーションは常に高く保たれます。
逆に、一段劣る仕事ばかり与えて、口先で「情熱を持って仕事をしろ。」と言ったところで、部下がついてくるはずはありません。部下はしらけるだけです。
もちろん、あなたには新しい仕事を考えるというしんどい仕事が常に残りますが、モチベーションの低い部下を率いて成果を上げようと虚しい努力をするより、それはずっと生産的な仕事です。
2011年4月23日土曜日
2011年4月19日火曜日
選挙で政権交代ということは簡単ではない
日本では、選挙で首相が変わるのが普通ですし、よくニュースに出てくる、いわゆる先進国でもそれは当然のことなので、「選挙で政権交代」はつい当たり前のことと思ってしまいます。
しかし、世界中を見回せば、決して当たり前ではありません。西ヨーロッパ諸国、旧大英帝国を構成していた国々を除けば、日本を含めたわずかな数の国々だけが、選挙での政権交代に成功しているのです。韓国にしても、政権を離れた前大統領が裁判にかけられなくなったのは最近です。多くの国が、激しさは別にして、今中東で起きているような形で政権が変わっているのが現実です。そうした中、マレーシアのマハティール首相が非常な長期政権の後に動乱もなく首相の座を離れたことは、驚くべきことです。この事実は、マハティール氏が非常に有能でかつ高潔な人格を兼ね備えた人物であることを示しています。
マハティール氏のような例外的な人物を得た国か、長く安定した国かでないと、人々にとって選挙の結果を受け入れることは決して容易ではないのです。言葉を変えれば、民主主義は簡単には根付かないものだということです。
しかし、世界中を見回せば、決して当たり前ではありません。西ヨーロッパ諸国、旧大英帝国を構成していた国々を除けば、日本を含めたわずかな数の国々だけが、選挙での政権交代に成功しているのです。韓国にしても、政権を離れた前大統領が裁判にかけられなくなったのは最近です。多くの国が、激しさは別にして、今中東で起きているような形で政権が変わっているのが現実です。そうした中、マレーシアのマハティール首相が非常な長期政権の後に動乱もなく首相の座を離れたことは、驚くべきことです。この事実は、マハティール氏が非常に有能でかつ高潔な人格を兼ね備えた人物であることを示しています。
マハティール氏のような例外的な人物を得た国か、長く安定した国かでないと、人々にとって選挙の結果を受け入れることは決して容易ではないのです。言葉を変えれば、民主主義は簡単には根付かないものだということです。
やがて上司になるあなたへ(4): チームを最適化していけない
あなたが、何人かの部下からなるチームを率いているときに、沢山の成果を効率よく上げたいと思うと、部下の適性に最もあった仕事を一人一人に与えたくなると思います。
しかし、チームをそのように最適化することは、本当に短期の終りの見えている仕事をするとき以外は避けるべきです。
チームを最適化していけないのです。
理由は大きく二つあります。一つは、部下は得意なことをするだけなので、その仕事を通じてほとんど成長しないからです。もう一つは、部下がお互いの仕事に興味を持たなくなり、チーム内のコミュニケーションも減り、チームワークが崩れてゆくからです。短期の終りの見ている仕事をしているときなら、仕事を終わらせることそのものがチームのモチベーションとなることもありますが、その場合でも、部下の成長はほとんど期待できません。
チームを最高度に最適化した状態を100とすれば、80位の状態を保つのがベストであるように思います。それぞれの部下には、その特性にあった仕事を主に与えるものの、少し苦手もしくは他のメンバーの業務のサポートを織り込むといった形でのチーム運営の方が、メンバー間の相互啓発も活発になり、中長期的にはチームの成果は大きくなります。
しかし、チームをそのように最適化することは、本当に短期の終りの見えている仕事をするとき以外は避けるべきです。
チームを最適化していけないのです。
理由は大きく二つあります。一つは、部下は得意なことをするだけなので、その仕事を通じてほとんど成長しないからです。もう一つは、部下がお互いの仕事に興味を持たなくなり、チーム内のコミュニケーションも減り、チームワークが崩れてゆくからです。短期の終りの見ている仕事をしているときなら、仕事を終わらせることそのものがチームのモチベーションとなることもありますが、その場合でも、部下の成長はほとんど期待できません。
チームを最高度に最適化した状態を100とすれば、80位の状態を保つのがベストであるように思います。それぞれの部下には、その特性にあった仕事を主に与えるものの、少し苦手もしくは他のメンバーの業務のサポートを織り込むといった形でのチーム運営の方が、メンバー間の相互啓発も活発になり、中長期的にはチームの成果は大きくなります。
2011年4月16日土曜日
やがて上司になるあなたへ(3−4) 会議は一種類ではない: 交渉
「議論」から「説明」までは、いずれも会議の参加者の間に、原則として利益相反はありませんでした。
「交渉」は、会議の参加者が、自分たちの間に利益相反あることを共通認識としている会議です。当然、事前に同意できるゴール(正解といっていいかもしれません)はありません。(2)でお話したように、上司のあなたは、職場の会議/コミュニケーションに交渉が忍び込まないよう細心の注意を払う必要があります。
交渉をどう進めるべきかは、基本的には、相手へ敬意を基本において、シンメトリックな合意、要するに相手と自分の立場を入れ替えても損得に変わりはない合意を目指すことが大切です。
フェアな交渉においては一人勝ちはあり得ません。
一人勝ちを目指せば、裏で恨みか不信を買うだけです。自分が少し損をした、その位がちょうどシンメトリックな合意と思った方がよいでしょう。その他のことは、世の中に交渉術を謳う本が沢山ありますので、それをご参照下さい。
「交渉」は、会議の参加者が、自分たちの間に利益相反あることを共通認識としている会議です。当然、事前に同意できるゴール(正解といっていいかもしれません)はありません。(2)でお話したように、上司のあなたは、職場の会議/コミュニケーションに交渉が忍び込まないよう細心の注意を払う必要があります。
交渉をどう進めるべきかは、基本的には、相手へ敬意を基本において、シンメトリックな合意、要するに相手と自分の立場を入れ替えても損得に変わりはない合意を目指すことが大切です。
フェアな交渉においては一人勝ちはあり得ません。
一人勝ちを目指せば、裏で恨みか不信を買うだけです。自分が少し損をした、その位がちょうどシンメトリックな合意と思った方がよいでしょう。その他のことは、世の中に交渉術を謳う本が沢山ありますので、それをご参照下さい。
やがて上司になるあなたへ(3−3) 会議は一種類ではない: 伝達、報告、説明
次の3つ「伝達」「報告」「説明」には、話す人と聞く人とがいて、情報の流れに方向があります。
「伝達」は、決まったことを伝える場ですから、意見を言う権利は誰も持っていません。
伝達の前提は、会議の場に上下関係があるということです。上司のあなたが上であり、部下は下です。そして、上司のあなたは、部下に意見を述べさせてはなりません。部下に許すのは、伝達の内容を理解するための質問だけです。そして、あなたは、すべての部下の質問に答える義務があります。
伝達を成功させるためには、上下関係を明示するために、部下全員を同じ方向に向かせ、あなたは彼らと正面から向き合う形をとるのがよいでしょう。私は、このような場合、部下の座る位置まで、はっきりと指定します。
会議の終了は、部下の質問が終ったときです。
「報告」は、「伝達」とは逆に、部下が話し上司が聞く場合です。上下関係もあります。聞き手にとって価値のある情報の伝達が目的です。その意味で、報告の価値は、「悪いニュースは、よいニュース。」などメタな意味である場合も少なくないにしても、予めあなたと部下の間で共有されていなければなりません。別の言い方をすると、あなたは、部下が報告すべき事項を、事前に彼らに明示しておかなければならないのです。
上司のあなたは、部下からの情報を活用して判断を下すことになりますから、部下には、事実と意見を明確に分けるよう求めるべきです。通常は、報告の場合には事実のみを話すようにと指導した方がよいように思います。
部下の意見を参考に聞くのは、「ヒアリング」です。ヒアリングの際に、私がよく使う台詞は、「君はどうしたい?(笑顔)」です。ヒアリングは、報告の方向を逆にしただけではありません。あなたが部下にヒアリングをすべき事項を、事前に部下が上司のあなたに明らかにすることはないからです。つまり、部下の意見を聞きたければ、あなたが積極的に部下の言葉に耳を傾けなければならないということです。そして、部下の意見を聞き出すという性質上、人事的な上下関係を前面に出すべきではありません。ちなみに、 部下が主体的に、上司に意見を言うのは、「具申」です。
「説明」は、詳しく物を知っている人が、詳しくない人に情報を伝えることです。これにも方向は明確にありますが、「伝達」「報告」と説明が違うの点は、上下関係がないことです。説明の目的は、上司の承認を得るための場合もあれば、部下への指示を下すための環境づくりの場合もあります。いずれの場合にも、説明は「話し手だけがそれを知っている」会議であり、「聞き手が流れる情報の価値を事前に知っている」報告やヒアリングとは大きく異なります。聞き手にはどうしてもストレスがかかります。ですから、説明には十分な時間を確保し、相手のメンタルコンディションにも配慮した方がいいでしょう。
また、説明は上司承認、指示伝達に付属するものと考えられがちですが、私の経験からは、説明自体は独立した会議と考えた方がいいと思います。というのは、参加者の情報ギャップを埋めることと、決める(承認/指示)こととは、独立しているコミニュケーションプロセスだからです。私は、「話は出尽くしたね。」といった言葉を挟んで説明の終りを宣言し、「じゃあ、決めようか。」と言って決定プロセスに移るようにしています。
報告、ヒアリング、説明について、何を細々とと感じる方もいらっしゃると思いますが、身近にある盛り上がらない会議を思い出してみて下さい。上司部下の間で、報告すべき内容が合意されていないために、短く終るはずの報告がいつの間にか長々とした説明になっている会議や、話し手がしゃべりたいことだけを”報告”して何のための会議かが分からなくなっている会議が沢山ありませんか。私は、上司が報告、ヒアリング、説明を厳密に運用することで、会議時間もみんなのストレスも随分減ると思います。
「伝達」は、決まったことを伝える場ですから、意見を言う権利は誰も持っていません。
伝達の前提は、会議の場に上下関係があるということです。上司のあなたが上であり、部下は下です。そして、上司のあなたは、部下に意見を述べさせてはなりません。部下に許すのは、伝達の内容を理解するための質問だけです。そして、あなたは、すべての部下の質問に答える義務があります。
伝達を成功させるためには、上下関係を明示するために、部下全員を同じ方向に向かせ、あなたは彼らと正面から向き合う形をとるのがよいでしょう。私は、このような場合、部下の座る位置まで、はっきりと指定します。
会議の終了は、部下の質問が終ったときです。
「報告」は、「伝達」とは逆に、部下が話し上司が聞く場合です。上下関係もあります。聞き手にとって価値のある情報の伝達が目的です。その意味で、報告の価値は、「悪いニュースは、よいニュース。」などメタな意味である場合も少なくないにしても、予めあなたと部下の間で共有されていなければなりません。別の言い方をすると、あなたは、部下が報告すべき事項を、事前に彼らに明示しておかなければならないのです。
上司のあなたは、部下からの情報を活用して判断を下すことになりますから、部下には、事実と意見を明確に分けるよう求めるべきです。通常は、報告の場合には事実のみを話すようにと指導した方がよいように思います。
部下の意見を参考に聞くのは、「ヒアリング」です。ヒアリングの際に、私がよく使う台詞は、「君はどうしたい?(笑顔)」です。ヒアリングは、報告の方向を逆にしただけではありません。あなたが部下にヒアリングをすべき事項を、事前に部下が上司のあなたに明らかにすることはないからです。つまり、部下の意見を聞きたければ、あなたが積極的に部下の言葉に耳を傾けなければならないということです。そして、部下の意見を聞き出すという性質上、人事的な上下関係を前面に出すべきではありません。ちなみに、 部下が主体的に、上司に意見を言うのは、「具申」です。
「説明」は、詳しく物を知っている人が、詳しくない人に情報を伝えることです。これにも方向は明確にありますが、「伝達」「報告」と説明が違うの点は、上下関係がないことです。説明の目的は、上司の承認を得るための場合もあれば、部下への指示を下すための環境づくりの場合もあります。いずれの場合にも、説明は「話し手だけがそれを知っている」会議であり、「聞き手が流れる情報の価値を事前に知っている」報告やヒアリングとは大きく異なります。聞き手にはどうしてもストレスがかかります。ですから、説明には十分な時間を確保し、相手のメンタルコンディションにも配慮した方がいいでしょう。
また、説明は上司承認、指示伝達に付属するものと考えられがちですが、私の経験からは、説明自体は独立した会議と考えた方がいいと思います。というのは、参加者の情報ギャップを埋めることと、決める(承認/指示)こととは、独立しているコミニュケーションプロセスだからです。私は、「話は出尽くしたね。」といった言葉を挟んで説明の終りを宣言し、「じゃあ、決めようか。」と言って決定プロセスに移るようにしています。
報告、ヒアリング、説明について、何を細々とと感じる方もいらっしゃると思いますが、身近にある盛り上がらない会議を思い出してみて下さい。上司部下の間で、報告すべき内容が合意されていないために、短く終るはずの報告がいつの間にか長々とした説明になっている会議や、話し手がしゃべりたいことだけを”報告”して何のための会議かが分からなくなっている会議が沢山ありませんか。私は、上司が報告、ヒアリング、説明を厳密に運用することで、会議時間もみんなのストレスも随分減ると思います。
やがて上司になるあなたへ(3−2) 会議は一種類ではない: 議論
まず、「議論」です。議論には、暗黙の前提があります。それは、第一は、会議に参加している人全員が、「答えが欲しい。」と思っている一つの問題(=議題)があるということです。第二は、議論に参加している誰1人、その問題について答えを持っていないということです。別の言い方をすれば、自分の答えに何か欠けているものがあると、みんな感じているということです。これが、議論が成立する条件です。
当然のことですが、議論においては、情報の流れに一定の方向はありません。参加者全員で、知恵を出し合って答えを見つけるのが議論です。
それゆえ、参加者には次のようなことが求められます。議題となっている問題への理解と、一定の専門知識を持っていること。個人として意見を言うこと(意見のない参加者は、役に立っていないので、決して歓迎されません)。問題に関係のないことは言わないこと(無関係な発言は、議論を混乱させたり、時間の無駄遣いになるのでヒンシュクを買います)。問題を解くことと関係のない/役に立たない会社内の上下関係に触れないこと。
その結果、議論に分類される会議を成功させるためには、まず、話し合う問題を明確にし(ゴールの設定)た上で、参加者が平等に意見が言える雰囲気を作るように運営することが大切になります。机を使う場合は、円卓もしくは変形机がいいでしょう。私は、黒板/白板に問題を書き出して、机を使わず参加者全員で同じ方向を向いて議論する形が好みです。
上司であるあなたは、ふたつの方法をとることができます。第一は、ゴール設定をした後は、司会として議事の運営に徹する方法、第二は自分の意見を否定されることをも歓迎する、部下と同じ専門家として参加する方法です。
会議の終了は、問題が解けたときか、すくなくとも今解けないと分かったときです。
当然のことですが、議論においては、情報の流れに一定の方向はありません。参加者全員で、知恵を出し合って答えを見つけるのが議論です。
それゆえ、参加者には次のようなことが求められます。議題となっている問題への理解と、一定の専門知識を持っていること。個人として意見を言うこと(意見のない参加者は、役に立っていないので、決して歓迎されません)。問題に関係のないことは言わないこと(無関係な発言は、議論を混乱させたり、時間の無駄遣いになるのでヒンシュクを買います)。問題を解くことと関係のない/役に立たない会社内の上下関係に触れないこと。
その結果、議論に分類される会議を成功させるためには、まず、話し合う問題を明確にし(ゴールの設定)た上で、参加者が平等に意見が言える雰囲気を作るように運営することが大切になります。机を使う場合は、円卓もしくは変形机がいいでしょう。私は、黒板/白板に問題を書き出して、机を使わず参加者全員で同じ方向を向いて議論する形が好みです。
上司であるあなたは、ふたつの方法をとることができます。第一は、ゴール設定をした後は、司会として議事の運営に徹する方法、第二は自分の意見を否定されることをも歓迎する、部下と同じ専門家として参加する方法です。
会議の終了は、問題が解けたときか、すくなくとも今解けないと分かったときです。
2011年4月5日火曜日
東日本大震災報道に思う
今、日本は、米国を初めとする多くの国の支援を受けていますが、それについての報道があまりに少ないのではないかと、感じています。
特に、米国、特に米軍の支援は、事実として特筆に値するものだと思います。
確かに沖縄を初めとする各地で米軍の兵士が問題行動を起こしている事実はあるにしても、私たち日本人は、今回の震災において彼らがどれ程私たち日本人のために骨を折ってくれているかを知ることは大切だと思います。
私たちがフェアであることを示すためにもです。
特に、米国、特に米軍の支援は、事実として特筆に値するものだと思います。
確かに沖縄を初めとする各地で米軍の兵士が問題行動を起こしている事実はあるにしても、私たち日本人は、今回の震災において彼らがどれ程私たち日本人のために骨を折ってくれているかを知ることは大切だと思います。
私たちがフェアであることを示すためにもです。
2011年2月13日日曜日
戦争について(1)
日本人の戦争観と、多くの国々の戦争観の間には、大きな違いがあります。
日本人にとって、戦後生まれであれば戦争は身近なものではありません。太平洋戦争を体験した人たちには戦争の記憶がありますが、一方の当事者としてのそれに限られています。
それゆえ、自分達の国の中で、他の強国同士が戦う戦争(殺し合いといった方がいいかもしれませんが)と、それに否応なしに自分達が巻き込まれ、仲間が殺されてゆく戦争に、私たちは思いを致すことはないのではないでしょうか。私もそういった視点を長じるまで持つことができませんでした。
ところが、アジア、欧州、アフリカの多くの国は、自国内で他国同士が争う戦争経験を何度も味わっています。こうした戦争経験に思いを致せば、自国を強国にしたい、少しでも自国が戦場になる可能性を下げるために軍事力を持ちたいという願いも理解できます。
一方、日本の場合、大陸の端であってかつ島国という地政的性質から考えて、このタイプの戦争に巻き込まれることはまずないので、軍事力の必要性を冷静にかつ考えることはとても困難です。そのためか、日本における軍事力の議論は、必要・不要いずれの論も極端なものが多く、戦争を避けるための現実的なものになっていないのではないでしょうか。
どうすれば、戦争を防ぐことができるか、自国が何らかの形で戦争にかかわることを防げるか、他の国々の歴史を学び多角的な視点をもって考えることが必要です。
日本人にとって、戦後生まれであれば戦争は身近なものではありません。太平洋戦争を体験した人たちには戦争の記憶がありますが、一方の当事者としてのそれに限られています。
それゆえ、自分達の国の中で、他の強国同士が戦う戦争(殺し合いといった方がいいかもしれませんが)と、それに否応なしに自分達が巻き込まれ、仲間が殺されてゆく戦争に、私たちは思いを致すことはないのではないでしょうか。私もそういった視点を長じるまで持つことができませんでした。
ところが、アジア、欧州、アフリカの多くの国は、自国内で他国同士が争う戦争経験を何度も味わっています。こうした戦争経験に思いを致せば、自国を強国にしたい、少しでも自国が戦場になる可能性を下げるために軍事力を持ちたいという願いも理解できます。
一方、日本の場合、大陸の端であってかつ島国という地政的性質から考えて、このタイプの戦争に巻き込まれることはまずないので、軍事力の必要性を冷静にかつ考えることはとても困難です。そのためか、日本における軍事力の議論は、必要・不要いずれの論も極端なものが多く、戦争を避けるための現実的なものになっていないのではないでしょうか。
どうすれば、戦争を防ぐことができるか、自国が何らかの形で戦争にかかわることを防げるか、他の国々の歴史を学び多角的な視点をもって考えることが必要です。
2011年1月30日日曜日
やがて上司になるあなたへ(3) 会議は一種類ではない
会社では、たくさんの会議が開かれますが、そこにはいくつかのタイプがあることを意識することが大切です。会議を「何人かの人が集まって、言葉を交わす場」程度にしか考えていないと、仕事の効率は落ちますし、みんなにとってのストレスの種になります。
私は、会議を少なくとも7つのタイプに分けています。
私は、会議を少なくとも7つのタイプに分けています。
- 議論
- 伝達(指示)
- 報告
- ヒアリング
- 説明
- 交渉
- 相談
2011年1月6日木曜日
やがて上司になるあなたへ(2) 部下に利害調整をさせてはいけない
何人かで仕事をしていれば、必ず利害対立が生じます。
俗な例を挙げれば、誰かが余計に仕事をしてくれれば楽になるので、評価が同じならできるだけ他の人に仕事をしてもらった方が得です。だから、仕事、特に面白くない仕事の押し付け合いが生じます。スポーツの人気のないポジションも同じ構造ですね。
もちろん、現実の仕事では、部下の得手不得手、予算の最適配分などが絡み合い、もっと複雑な、時には気付きにくい利害対立が日常的に発生します。
この利害対立を、「部下を集めて、みんなで話し合って、役割分担を決めること」=利害調整で解決しようとすることは、避けましょう。
部下を交えた話合いをするということは、部下の間で対立している利害をくっきりと浮かび上がらせることに他なりません。ですから、必然的に、話合いは、(本音のレベルでは)嫌な仕事の押し付け合いになってしまいます。その結果、自分たちの間に利害の対立があることを、部下は実感します。そして、それは部下達の感情的なしこりとなって、チームの士気はあっと言う間に低下します。同時に、あなたには、職場管理ができない無能な上司というレッテルが張られることでしょう。
あなたがなすべきなのは、押し付け合いになりそうな仕事に気を配り、あなたの指示で、それが小さな内に部下に公平に分け与えることです。「嫌な仕事をしろ。」という指示を出すのです。
その嫌な仕事は、必要な仕事であるはずです。あなたの指示は部下に理解されます。もし、それが必要な仕事でないなら、あなたは、あなたの責任で、その仕事をやめれば良いだけです。必要なら、嫌であっても、あなたの上司に仕事の中止を上申すべきです。それが、上司としてのあなたの大切な仕事です。あなたの上司が有能であれば、あなたの上申を業務効率化のよい提案として、評価してくれるでしょう。あなたの上司が無能であれば、・・・、黙って放ったらかしにしておくのも一手かもしれません。
俗な例を挙げれば、誰かが余計に仕事をしてくれれば楽になるので、評価が同じならできるだけ他の人に仕事をしてもらった方が得です。だから、仕事、特に面白くない仕事の押し付け合いが生じます。スポーツの人気のないポジションも同じ構造ですね。
もちろん、現実の仕事では、部下の得手不得手、予算の最適配分などが絡み合い、もっと複雑な、時には気付きにくい利害対立が日常的に発生します。
この利害対立を、「部下を集めて、みんなで話し合って、役割分担を決めること」=利害調整で解決しようとすることは、避けましょう。
部下を交えた話合いをするということは、部下の間で対立している利害をくっきりと浮かび上がらせることに他なりません。ですから、必然的に、話合いは、(本音のレベルでは)嫌な仕事の押し付け合いになってしまいます。その結果、自分たちの間に利害の対立があることを、部下は実感します。そして、それは部下達の感情的なしこりとなって、チームの士気はあっと言う間に低下します。同時に、あなたには、職場管理ができない無能な上司というレッテルが張られることでしょう。
あなたがなすべきなのは、押し付け合いになりそうな仕事に気を配り、あなたの指示で、それが小さな内に部下に公平に分け与えることです。「嫌な仕事をしろ。」という指示を出すのです。
その嫌な仕事は、必要な仕事であるはずです。あなたの指示は部下に理解されます。もし、それが必要な仕事でないなら、あなたは、あなたの責任で、その仕事をやめれば良いだけです。必要なら、嫌であっても、あなたの上司に仕事の中止を上申すべきです。それが、上司としてのあなたの大切な仕事です。あなたの上司が有能であれば、あなたの上申を業務効率化のよい提案として、評価してくれるでしょう。あなたの上司が無能であれば、・・・、黙って放ったらかしにしておくのも一手かもしれません。
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