2013年2月2日土曜日

命の値段

「命の値段」を考えるきっかけになったのは、アフリカの医療支援をする際には薬を患者に渡してはいけないという話を読んだことです。患者に薬を渡せば、患者は薬を現金化してしまうというのです。現金給付でなく、医療支援を目的するのであれば、医師患者双方にとって面倒であっても、対面で薬を投与することが大切というのです。

報道で知る限り、アフリカは日本よりずっと死が身近な土地です。

その地において、命に直結するだろう治療薬が自分の病気の治療より現金化に使われることは、「命をお金に換える行為」と解釈できるのではないかと思ったのです。

一般的な治療に使われる薬の市場価格は、数千円です(日本国内では医療保険のために1/3から1/10の支払で済みます)。

一方、国連の調査によれば、サハラ以南のアフリカ諸国では、一日当りの生活費が一ドル以下の人口の割合が50%近い。多くの人の年収が3万円以下なのです。

最初に書いたことは、「薬に年収の1/10の値段がつくなら、人は自分の病気の治療よりお金を優先する」ケースが少なからずあるということです。

国税庁の調査によれば日本の世帯年収は、平均が約420万円であるので、上の論理をそのまま日本に適用すると、「薬に40万円の値段がつくなら、日本人は自分の病気の治療よりお金を優先する」となります。すべての日本人が薬を売るとは思わないですが、乱暴な推定なので係数5を掛ける、つまり5倍の値段(200万円)がつけば、どうでしょうか?自分のためではなく、家族のために「命をお金に換える行為」を選ぶ人がいることを想像することはできるような気がします。

命と命は交換できません。

死と生も交換できません。

それなのに、「命をお金に換える行為」が実際に行われている土地がある。その地では、方法を間違えると医療支援さえ、お金のバラマキになりかねない。そういう現実を「あり得ること」として理解するために、「命の値段」という非人道的なことを考えることも大切ではないかと、私は思います。

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