このシリーズの最初に、「上司の仕事は、部下に、価値のある仕事を、与え続けること」と言いました。これは、長期的な視点から言ったことで、短期的な視点から言ったのが、今回の表題です。
非常に簡単な例が、「新規の100万円案件と、類型のある1000万円案件ではどちらの検討に時間を掛けるか?/どちらを先に検討するか」という前々回の話題です。新規と類型、100万円と1000万円と、二つある基準が背反しているので、万人が納得する答えはありません。
こうした背反がある時に、どうするかさっさと決めてしまうのが、上司の重要な仕事です。
まあ、この事例は会議の時間と順番なので、不謹慎を承知で言えば、コイントスで決めてもよいでしょう。
では、経営の安定を狙って短期的に固く利益を狙うか、経営の拡大を狙って長期的にリスクを織り込んで大きな利益を狙うかになるとどうでしょう?部下全員の前で、「コイントスで決める」と宣言することは、どう考えても愚かな行いです。
上司であるあなたは、部下から見て納得ができる選択/決定をしなければなりません。人を納得させる決定は、その場の思いつきでできるものではありません。組織としての物の考えから、その年の組織の方針、上司であるあなたのポリシーなど、比較的長期間変化しない上位の「考え」によって決めるのが妥当です。
(続く)
2011年7月29日金曜日
2011年7月22日金曜日
やがて上司になるあなたへ(11):ドラッガーとミンツバーグ
マネージメント本と言えばP.F.ドラッガーが有名ですが、私は、H.ミンツバーグの名前も挙げたいと思います。
ドラッガーの話はほとんど哲学書/思想書の趣ですが、ミンツバーグの話は事例に富んでおり相当に実務的です。
どちらかと言えば、私がミンツバーグの方を高く評価するのは、マネージメントの多様性/不定形性を正面から捉えている分だけ、「信者」を生みにくいと思うからです。マネージメントとは何かについて彼が語った言葉に、「マネージメントとは、何とか折り合いをつけて、日々を乗り切ってゆくこと」という印象的なものがあります。なるほどとは思っても、これを宗教のように信奉しようとする人はいないでしょう。
これに対して、ドラッカーの言葉は、その素晴らしさ故に、無批判の信奉を引き起こしそうな危うさを感じます。もちろん、ドラッガーの著作は、一つの企業で成功したことを普遍的なことのように語るマネージメント本とは一線を画しており、豊富な経験に支えられ、深い考察を通して得られた普遍的なものを含むんでいます。それ故の抽象的な面が、私の感じる危うさの原因となっています。
是非、この二人の著作を読んでみて下さい。
ドラッガーの話はほとんど哲学書/思想書の趣ですが、ミンツバーグの話は事例に富んでおり相当に実務的です。
どちらかと言えば、私がミンツバーグの方を高く評価するのは、マネージメントの多様性/不定形性を正面から捉えている分だけ、「信者」を生みにくいと思うからです。マネージメントとは何かについて彼が語った言葉に、「マネージメントとは、何とか折り合いをつけて、日々を乗り切ってゆくこと」という印象的なものがあります。なるほどとは思っても、これを宗教のように信奉しようとする人はいないでしょう。
これに対して、ドラッカーの言葉は、その素晴らしさ故に、無批判の信奉を引き起こしそうな危うさを感じます。もちろん、ドラッガーの著作は、一つの企業で成功したことを普遍的なことのように語るマネージメント本とは一線を画しており、豊富な経験に支えられ、深い考察を通して得られた普遍的なものを含むんでいます。それ故の抽象的な面が、私の感じる危うさの原因となっています。
是非、この二人の著作を読んでみて下さい。
2011年7月21日木曜日
やがて上司になるあなたへ(10):知っていることに時間をかけるな
会議、打ち合わせ、立ち話など、組織の中では、さまざま形での議論、意見交換、コミュニケーションが行われます。
この時間は、何によって決まるでしょうか?実は、話や案件が上司がよく知っている内容かどうかで、時間の長さが決まる場合が多いのです。
上司が案件に詳しい場合に長くなり、疎い場合に短くなるのです。
上司は、案件に詳しい場合、無意識の内に、自分の能力を示す機会と捉えて、つい蘊蓄を垂れてしまいます。その結果、時間が長くなるのです。この時間は、上司であるあなたにとっては自己陶酔に浸れる至福の時間でしょうが、部下にとってはうんざりです。
逆に、疎い場合には、案件の重要性を把握することは難しいので、「よく分からない」=「価値が低い」という、これもまた無意識の論理で、話を聞き流してしまいます。内容がよく分かっている部下にとっては、苛立たしいことでしょう。
本来は逆であるべきです。あなたがよく知っている内容の案件であるなら、あなたは部下にポイントだけを短く述べるように求めるべきです。それによって、会議の時間を短くすることができます。あなたが疎い案件であれば、自分が必要な判断を下せるだけの説明を、あなたは部下に求めるべきです。
しかし、そうは言っても、人である以上、快感原則に逆らうことは容易ではありません。
また、あなたが何に詳しいかを部下が知っているとは限りません。部下があなたが何を知っているかを知らなければ、長い時間を掛けて不必要に詳しい説明資料を用意してしまうかもしれません。
こうした問題を解決する簡単な方法は、
・新規案件か、類型があった案件かのいずれか
・会議の時間を内容の外形的な価値(予算規模、関わる人数等)
から決めることです。1000万円の案件と100万円の案件があれば、1000万円の案件に時間を掛ける。新規案件と類型があった案件であれば、新規案件に時間を掛ける、という、ごくごく当たり前のやり方です。
新規の100万円案件と、類型のある1000万円案件ではどうするか?この種の背反がある場合は、どっちを先にするかを論じていること自体が無駄なので、あなたのセンスで、さっさと決めて下さい。
いずれにしましても、部下の時間、それはチーム全体の時間でもあるのですが、を有効に使う方法の一つが、自分がよく知っていることに時間を掛けないということなのです。
もちろん、「よく知っている」状態を維持するためには、普段の勉強が大切であることは言うまでもありません。
この時間は、何によって決まるでしょうか?実は、話や案件が上司がよく知っている内容かどうかで、時間の長さが決まる場合が多いのです。
上司が案件に詳しい場合に長くなり、疎い場合に短くなるのです。
上司は、案件に詳しい場合、無意識の内に、自分の能力を示す機会と捉えて、つい蘊蓄を垂れてしまいます。その結果、時間が長くなるのです。この時間は、上司であるあなたにとっては自己陶酔に浸れる至福の時間でしょうが、部下にとってはうんざりです。
逆に、疎い場合には、案件の重要性を把握することは難しいので、「よく分からない」=「価値が低い」という、これもまた無意識の論理で、話を聞き流してしまいます。内容がよく分かっている部下にとっては、苛立たしいことでしょう。
本来は逆であるべきです。あなたがよく知っている内容の案件であるなら、あなたは部下にポイントだけを短く述べるように求めるべきです。それによって、会議の時間を短くすることができます。あなたが疎い案件であれば、自分が必要な判断を下せるだけの説明を、あなたは部下に求めるべきです。
しかし、そうは言っても、人である以上、快感原則に逆らうことは容易ではありません。
また、あなたが何に詳しいかを部下が知っているとは限りません。部下があなたが何を知っているかを知らなければ、長い時間を掛けて不必要に詳しい説明資料を用意してしまうかもしれません。
こうした問題を解決する簡単な方法は、
・新規案件か、類型があった案件かのいずれか
・会議の時間を内容の外形的な価値(予算規模、関わる人数等)
から決めることです。1000万円の案件と100万円の案件があれば、1000万円の案件に時間を掛ける。新規案件と類型があった案件であれば、新規案件に時間を掛ける、という、ごくごく当たり前のやり方です。
新規の100万円案件と、類型のある1000万円案件ではどうするか?この種の背反がある場合は、どっちを先にするかを論じていること自体が無駄なので、あなたのセンスで、さっさと決めて下さい。
いずれにしましても、部下の時間、それはチーム全体の時間でもあるのですが、を有効に使う方法の一つが、自分がよく知っていることに時間を掛けないということなのです。
もちろん、「よく知っている」状態を維持するためには、普段の勉強が大切であることは言うまでもありません。
2011年7月17日日曜日
やがて上司になるあなたへ(9): 上司は、自分と同じレベルの部下を最も高く評価する
人の力はとても多くの要素からなっていますから、人の持つ力を正確に評価することは難しいことです。そのため、どうしても一定のバイアスがかかります。典型的なバイアスが、表題の「上司は、自分と同じレベルの部下を最も高く評価する」です。より正確には、自分よりほんの少しだけ劣る部下を、です。
これは、不思議なことでも何でもありません。
乱暴に言えば、実務上の専門能力において、大抵の上司より部下の方が優秀だからです。上司になるということは、多かれ少なかれ実務から離れることになります。同時に、実務に必要な専門知識は当然進歩し続けますし、実務から離れた上司は実務能力は確実に低下してゆきます。上司と部下の専門能力が逆転するのに、それ程時間はかかりません。
ということは、自分が及ばない/知らない能力を見極めることができなければ、上司は部下の能力を正確につかむことはできないのです。
しかしながら、この現実に気付かず、上司であるということだけで、自分の方が能力が高いと勘違いする人は少なくありません。いや、むしろ、驚くほど多いのです。こうした人は、自分よりレベルの高い部下を「よく分からない奴」と、自分よりレベルの低い部下を「使えない奴」としてしか認識することができません。*)その結果として、自分が完全に理解できる部下、それは自分よりほんの少しだけ劣る部下なのですが、を最も高く評価することになるのです。
*)この状態に一度入ると、そこから抜け出すことは非常に困難です。何故なら、当人の内面においては、自分が常に一番であり、それを否定する材料はないのですから、抜け出さなければならない理由が浮かぶことは起こりえないのです。
こうした困った上司にならないためには、どうすればいいでしょうか?
残念ながら、報告書の指導のようなすぐに使えるメソッドを、私は見つけることができていません。しかし、いくつかの有効な対策はあります。
第一は、チーム全体の能力の質は、上司であるあなた自身の能力の質を上回っている(いなければならない)と、理解することです。
第二は、上司部下の関係を、指示を出す/受けるという上下の関係ではなく、チームのための諸雑用をする者(上司)とチームの実務を行う者(部下)という対等な役割分担の関係と捉えるということです。
第三は、以前に述べましたが、チームを最適化しないことです。
第四は、使い方を間違えるとひどい結果になる対策ですが、結果を重視することです。
まず、第一の対策ですが、そもそもチームというものは、同じ能力の人を集めるより、違った能力を持った人を集めて、それぞれのメンバーの能力のよいところを使うことで、一人だといくら時間を掛けてもできないことをできるようにしたり、ずっと効率よく結果を出す仕組みです。もっとも極端な例が、大会社の社長と社員全員の関係です。どんなに優秀な社長であっても、会社が必要とする業務のそれぞれについて最優秀の社員の能力と、社長のそれを比べたとき、社長がすべての業務で上回ることはあり得ません。チームの本質として、チーム全体の能力の質は、上司であるあなた自身の能力の質を上回っている(いなければならない)ということは、当たり前のことなのです。
しかし、これに気付けば、つまり「自分には分からないことがなければならない」ことに気付けば、よく分かる部下(=自分よりほんの少しだけ劣る部下)への評価には慎重になれるはずです。
第二は、部下を侮らないための心構えです。自分が上と思い込めば、部下を侮りその本質を見逃しがちになります。部下の美点、あなたを上回る点を見いだそうとすれば、自然と上下の感覚は薄れてゆくはずです。同時に、上司というあなたの役割の重要な部分の一つが、細々とした指示を出すことでなく、チームに何かあればその責めを一人で引き受けることだということに気付くと思います。
第三は、最適化されていないチームでは、コミュニケーションが活発に行われます。それをよく見ていれば、それぞれの部下がチームの中でどれほどの役割を担っているか、他のメンバーからどれほど頼りにされているか、もしくは邪魔をしているかが、分かります。つまり、一種の第三者評価を得られるということです。
第四は、仕事は結果につながるべきものです。結果が出るということは、部下の能力の証明と考えることができます。結果とその結果を出した部下との対応付けが正確であれば、結果で部下を評価することは、高いレベルの公平感、納得感を期待できます。
しかし、結果とその結果を出した部下との対応付けが不正確ならば、強い不満を抱えたメンバーばかりのチームになってしまいます。現実には、「成果の横取り」はよくあることです。特に、コミュニケーションの悪いチームにあっては、後輩の成果を先輩が奪うことは、日常と思った方がいい位だと思います。人の成果を奪う者の多くは目端の利く者で、実に巧妙にそれをやります。上司のあなたがそれに気付くことは、容易ではないと思っていた方がいいでしょう。
この意味で、結果評価の重視は取り扱いが難しく、チームを最適化しないといった方法との組み合わせることが必要です。
第一から第四、精神論の要素が強く、どれも決定的なメソッドではありません。おそらく、人を評価する決定的なメソッドなどないのだと、私は思いますし、多くの人が知っていると思います。なぜなら、「全ての人を適切に測ることができるメソッドを売ります。」という宣伝文句がついた売り込みを、人が信じるとは思えないからです。
人の評価は、難しいけど、サボったり、油断したりすれば、チームはすぐに壊れてしまうという、上司にとってやっかいで大切な仕事なのです。私は、まずい評価をしないような努力を重ねることが大切だと思います。
これは、不思議なことでも何でもありません。
乱暴に言えば、実務上の専門能力において、大抵の上司より部下の方が優秀だからです。上司になるということは、多かれ少なかれ実務から離れることになります。同時に、実務に必要な専門知識は当然進歩し続けますし、実務から離れた上司は実務能力は確実に低下してゆきます。上司と部下の専門能力が逆転するのに、それ程時間はかかりません。
ということは、自分が及ばない/知らない能力を見極めることができなければ、上司は部下の能力を正確につかむことはできないのです。
しかしながら、この現実に気付かず、上司であるということだけで、自分の方が能力が高いと勘違いする人は少なくありません。いや、むしろ、驚くほど多いのです。こうした人は、自分よりレベルの高い部下を「よく分からない奴」と、自分よりレベルの低い部下を「使えない奴」としてしか認識することができません。*)その結果として、自分が完全に理解できる部下、それは自分よりほんの少しだけ劣る部下なのですが、を最も高く評価することになるのです。
*)この状態に一度入ると、そこから抜け出すことは非常に困難です。何故なら、当人の内面においては、自分が常に一番であり、それを否定する材料はないのですから、抜け出さなければならない理由が浮かぶことは起こりえないのです。
こうした困った上司にならないためには、どうすればいいでしょうか?
残念ながら、報告書の指導のようなすぐに使えるメソッドを、私は見つけることができていません。しかし、いくつかの有効な対策はあります。
第一は、チーム全体の能力の質は、上司であるあなた自身の能力の質を上回っている(いなければならない)と、理解することです。
第二は、上司部下の関係を、指示を出す/受けるという上下の関係ではなく、チームのための諸雑用をする者(上司)とチームの実務を行う者(部下)という対等な役割分担の関係と捉えるということです。
第三は、以前に述べましたが、チームを最適化しないことです。
第四は、使い方を間違えるとひどい結果になる対策ですが、結果を重視することです。
まず、第一の対策ですが、そもそもチームというものは、同じ能力の人を集めるより、違った能力を持った人を集めて、それぞれのメンバーの能力のよいところを使うことで、一人だといくら時間を掛けてもできないことをできるようにしたり、ずっと効率よく結果を出す仕組みです。もっとも極端な例が、大会社の社長と社員全員の関係です。どんなに優秀な社長であっても、会社が必要とする業務のそれぞれについて最優秀の社員の能力と、社長のそれを比べたとき、社長がすべての業務で上回ることはあり得ません。チームの本質として、チーム全体の能力の質は、上司であるあなた自身の能力の質を上回っている(いなければならない)ということは、当たり前のことなのです。
しかし、これに気付けば、つまり「自分には分からないことがなければならない」ことに気付けば、よく分かる部下(=自分よりほんの少しだけ劣る部下)への評価には慎重になれるはずです。
第二は、部下を侮らないための心構えです。自分が上と思い込めば、部下を侮りその本質を見逃しがちになります。部下の美点、あなたを上回る点を見いだそうとすれば、自然と上下の感覚は薄れてゆくはずです。同時に、上司というあなたの役割の重要な部分の一つが、細々とした指示を出すことでなく、チームに何かあればその責めを一人で引き受けることだということに気付くと思います。
第三は、最適化されていないチームでは、コミュニケーションが活発に行われます。それをよく見ていれば、それぞれの部下がチームの中でどれほどの役割を担っているか、他のメンバーからどれほど頼りにされているか、もしくは邪魔をしているかが、分かります。つまり、一種の第三者評価を得られるということです。
第四は、仕事は結果につながるべきものです。結果が出るということは、部下の能力の証明と考えることができます。結果とその結果を出した部下との対応付けが正確であれば、結果で部下を評価することは、高いレベルの公平感、納得感を期待できます。
しかし、結果とその結果を出した部下との対応付けが不正確ならば、強い不満を抱えたメンバーばかりのチームになってしまいます。現実には、「成果の横取り」はよくあることです。特に、コミュニケーションの悪いチームにあっては、後輩の成果を先輩が奪うことは、日常と思った方がいい位だと思います。人の成果を奪う者の多くは目端の利く者で、実に巧妙にそれをやります。上司のあなたがそれに気付くことは、容易ではないと思っていた方がいいでしょう。
この意味で、結果評価の重視は取り扱いが難しく、チームを最適化しないといった方法との組み合わせることが必要です。
第一から第四、精神論の要素が強く、どれも決定的なメソッドではありません。おそらく、人を評価する決定的なメソッドなどないのだと、私は思いますし、多くの人が知っていると思います。なぜなら、「全ての人を適切に測ることができるメソッドを売ります。」という宣伝文句がついた売り込みを、人が信じるとは思えないからです。
人の評価は、難しいけど、サボったり、油断したりすれば、チームはすぐに壊れてしまうという、上司にとってやっかいで大切な仕事なのです。私は、まずい評価をしないような努力を重ねることが大切だと思います。
2011年7月14日木曜日
やがて上司になるあなたへ(8):下らないことは、合わせろ
どんな組織にも、その組織を特徴付けるしきたり・風土があります。
この「しきたり」は、部外者には、どうしてそんなことをするのか訳が分からないという類のもの、要するに下らないものがすくなくありません。さらにウンザリする事に、それにかなりの時間が掛かることも多々あります。
若い人は、しきたり・風土の下らない部分を改善しようとしたり、下らない事をすることは嫌だと抵抗します。かつての私は、その典型だったように思います。
しかし、この改善と抵抗はまったく無駄なので、あなた自身もすべきでないし、部下にも止めるように諭しましょう。もちろん、頭ごなしに、部下に「しきたりには従え。」と言ったのでは、部下の軽蔑を買うだけで最悪です。
少し視点を変えて、次のようなケースを考えてみましょう。
あなたの友人が、ペットボトルのキャップを集める趣味を持っていたとしましょう。ですが、あなたは、ペットボトルのキャップにはぜんぜん興味が湧きません。それどころか、下らないと心底思っています。ある時、あなたは出張先で買ったペットボトルを持ち帰ったのですが、どうもそのペットボトルは友人にとってはじめて見るもので、彼/彼女がそれを欲しがったときにどうしますか?
大抵の人は、ああこれは彼/彼女の趣味だからと、ペットボトルを友人に上げるのではないでしょうか?ペットボトルのキャップを集めるのは下らないと自説を述べて、友人の目の前でペットボトルを捨てるようなことはしないと思います。
つまり、自分にとって下らないことには寛容になることは、冷静になれば、私たちにとってそれ程難しいことではないのです。
組織に対しても似たような考え方が有効です。つまり、自分の内面、価値観、人格といったものは、他人の趣味・考え・行動原理に影響されることはないものだということです。
ですので、部下にしきたり・風土に対処することを伝えるときには、次のようなステップを踏むといいでしょう。
まず、部下が独立した人格を持っていることを確認、尊重しましょう。
次に、組織のしきたり・風土が、部下の人格に何の影響力を持っていないことを、部下自身に確認させましょう。そのプロセスの中で、あなたは、抵抗感のかなりの部分は、組織が自分の人格・内面にに影響を与えることへの恐れからきている場合が多いことに気づくと思います。ここまでできれば、あとは簡単です。
部下の人格に何の影響力を持っていないことに、自分の時間とスキルを長々と費やすことは無駄ではないかと指摘しましょう。その上で、「君にとってどうでもいいことであれば、相手に合わせてあげればいいのでないの?」と言えば、多くの部下は理解してくれます。
もちろん、部下の人生観と、組織のしきたり・風土とが、完全に対立する場合もあるでしょう。その場合は、部下に勝算があると思えば応援してもよいですし、ないと思えば転職を勧めるべきです。
この「しきたり」は、部外者には、どうしてそんなことをするのか訳が分からないという類のもの、要するに下らないものがすくなくありません。さらにウンザリする事に、それにかなりの時間が掛かることも多々あります。
若い人は、しきたり・風土の下らない部分を改善しようとしたり、下らない事をすることは嫌だと抵抗します。かつての私は、その典型だったように思います。
しかし、この改善と抵抗はまったく無駄なので、あなた自身もすべきでないし、部下にも止めるように諭しましょう。もちろん、頭ごなしに、部下に「しきたりには従え。」と言ったのでは、部下の軽蔑を買うだけで最悪です。
少し視点を変えて、次のようなケースを考えてみましょう。
あなたの友人が、ペットボトルのキャップを集める趣味を持っていたとしましょう。ですが、あなたは、ペットボトルのキャップにはぜんぜん興味が湧きません。それどころか、下らないと心底思っています。ある時、あなたは出張先で買ったペットボトルを持ち帰ったのですが、どうもそのペットボトルは友人にとってはじめて見るもので、彼/彼女がそれを欲しがったときにどうしますか?
大抵の人は、ああこれは彼/彼女の趣味だからと、ペットボトルを友人に上げるのではないでしょうか?ペットボトルのキャップを集めるのは下らないと自説を述べて、友人の目の前でペットボトルを捨てるようなことはしないと思います。
つまり、自分にとって下らないことには寛容になることは、冷静になれば、私たちにとってそれ程難しいことではないのです。
組織に対しても似たような考え方が有効です。つまり、自分の内面、価値観、人格といったものは、他人の趣味・考え・行動原理に影響されることはないものだということです。
ですので、部下にしきたり・風土に対処することを伝えるときには、次のようなステップを踏むといいでしょう。
まず、部下が独立した人格を持っていることを確認、尊重しましょう。
次に、組織のしきたり・風土が、部下の人格に何の影響力を持っていないことを、部下自身に確認させましょう。そのプロセスの中で、あなたは、抵抗感のかなりの部分は、組織が自分の人格・内面にに影響を与えることへの恐れからきている場合が多いことに気づくと思います。ここまでできれば、あとは簡単です。
部下の人格に何の影響力を持っていないことに、自分の時間とスキルを長々と費やすことは無駄ではないかと指摘しましょう。その上で、「君にとってどうでもいいことであれば、相手に合わせてあげればいいのでないの?」と言えば、多くの部下は理解してくれます。
もちろん、部下の人生観と、組織のしきたり・風土とが、完全に対立する場合もあるでしょう。その場合は、部下に勝算があると思えば応援してもよいですし、ないと思えば転職を勧めるべきです。
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